TEAM P 本郷良典の歴史考察
2020-07-13
本能寺の変について・・・・・・2
1582年6月20日 旧暦6月1日(朔月)
旧暦は太陰暦の為6月1日は月がありません、その為夜は真っ暗です。
その中を明智光秀は毛利攻めの羽柴秀吉の増援に向かうとの名目で自身の手勢13,000人に招集をかけ
京都に向かわせ、密かに織田信長が宿泊している本能寺周辺に暗闇を利用しつつ、全軍を終結させていました。
この時点(旧暦6月1日深夜)で主な歴史上の人物はどこで何をしていたかまとめてみます。
織田信長
宿泊地の本能寺にわずかな手勢(100~150名)に守られ就寝中。 |
明智光秀
本能寺周辺にて手勢全軍(13,000人)が集結する指揮をとっている。 |
織田信忠
本能寺から約1.2km離れた妙覚寺にて手勢(数百名)に守られ宿泊中。
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以上京都にいる人々です。ここで実際の位置関係をここに表示します。
本能寺の変後の状況を理解しやすくする為、その他の人物の状況を列記していきます。
徳川家康
駿河一国(現静岡県)受領のお礼の為、上洛。信長に謁見し、その日は観光もかねて堺(現大阪府堺市)に滞在中。 |
羽柴秀吉
毛利方の武将清水宗治が守る備中高松城(現岡山県の西部)を総勢20,000の兵力で包囲中。 |
柴田勝家
兵力15,000人を率い上杉方の魚津城(現富山県)を包囲中。 |
滝川一益
柴田勝家と逆方向から上杉景勝の支配下にある越後(現新潟県)を攻めるため、上野厩橋城(現群馬県)にて出陣の準備中。 |
神戸信孝(信長3男)
四国の長曾我部氏討伐のため摂津(現大阪府)にて丹羽長秀とともに、兵力14,000の兵を率い出陣の準備中。
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ここで以前に掲載した。信長軍団の配置図を再度見ていただきたいと思います。
本当に信長は天下統一まで後一歩まで来ておりました。
今回は長くなってしまったのでこれくらいにし、次回は本能寺の変その日に何が起きたかを書いていきたいと思います。
前回の、「 本能寺の変について・・・1 」はこちらからご覧ください